INTERVIEW

講師インタビュー

KYOKO
KYOKO / Dance

浜崎あゆみ、倖田來未、DJ-MAKIDAI、青山テルマ、伊藤由奈、TUBEなど 多数のアーティストのバックダンスや振り付けを務める。
様々な現場で培った経験を生かし、アーティストプライベートレッスン、プロダンサー育成レッスン キッズクラス、入門者向けクラスなど幅広いレッスンを担当。
第一子出産後はママ目線でのママクラスのワークショップや親子クラスも企画している。

ただただダンスが好きで、上手くなりたい一心だった

まずはダンスを始めたきっかけから聞かせてください。

中学から短大までずっと女子校だったんですけど、周りはみんなピアノとかを習っていて。 でも私は音符とかが苦手で赤点ばかりとっていて、そこに強いコンプレックスを感じていたんです。 そこでみんなとは違うことがしたいなと思って、中学2年の時に家の2駅くらい隣にあったタップダンス教室に通い始めました。 タップを始めてみたら楽しくて、だけどステップだけじゃなくて“踊り”なんだっていうことを知って、JAZZダンスも習ってみました。 でも当時は興味を持てなくて続きませんでしたね。

中2の女子でタップダンスって珍しいですよね。その後ストリートダンスも?

はい。高校時代に「ダンス甲子園」ブームがきて、そこでストリートダンスを見て、HIPHOPってかっこいい!と思ったんです。それでHIPHOP熱に火がついて、タップはそっちのけになってしまいました。 でもHIPHOPを習えるスタジオが当時はなかったので、同じようにHIPHOPが好きな男の子たちと一緒に公園とかで練習してましたね。 女子校なので、周りに共感してくれる女友達がいなくて、自分でビデオとかを見て真似しながら習得していきました。
男の子たちと一緒に練習するようになって、基礎を徹底的に練習させられて、そこで初めてちゃんとHIPHOPダンスを教えてもらったんです。 そうしているうちに、男の子が踊るHIPHOPに比べたら、その時の自分が踊るものはちんちくりんだなと思って、だったらもっと女らしいセクシーな踊りがしたい!と思うようになり、以前は興味を持てなかったJAZZをまたやるようになりました。

タップ、HIPHOP、JAZZという流れだったんですね。ダンスが仕事になったのはいつ頃からですか?

短大へ行くことが決まっていたんですが、ダンスの仕事がしたいと思うようになって、親に「大学進学をやめたい」って言ったんです。でもやっぱりダメでした。 だったら2年間は短大に行くから、その後の2年はダンスをやらせてくれってお願いして。 その2年の間に形にならなかったらダンスをやめる、という約束を親としました。
大学時代はダンスレッスンと、レッスン代を稼ぐためのバイトとの往復の日々でした。
JAZZをみっちり習いながら、JAZZを極めるためにバレエも習うようになって、当時は1日3本くらいレッスンを受けていましたね。 ただただダンスが好きで上手くなりたい一心で。
そんなこんなで2年があっという間に過ぎた頃に、自分が通っていたスタジオの人が、「KYOKOちゃんそろそろ教えられそうやん。 クラス持ってみない?」って言ってくれて。 それがママ(主婦)クラスだったんですけど、そこで初めて自分のクラスを持つようになりました。 その後キッズも教えるようになり、徐々に自分のクラスが増えていって、ほかのスタジオからもオファーがくるようになったんです。 それがちょうど親との約束の期限だった4年目くらいのことでした。


短大を卒業してバイトしながらまだダンスを習いながらダブルタッチのチームに入っていた頃のKYOKOさん。

当時は大阪でレッスンを持っていたとのことですが、上京したタイミングときっかけは?

大阪でコツコツお金を貯めながら、「東京で仕事して、ダンサーとしての箔をつけて帰ってこよう」と思うようになりました。 それで22〜23歳の頃に上京しました。
知り合いもいないし思いつきだけで上京して、恵比寿にある「ウィング」という有名なスタジオしか知らなかったので、とにかくそこに行きました。 そこで初日にいきなりバックダンサーのオーディションの話をもらって、翌日受けてみたんですけど結果はダメで…。 そこで東京のレベルの高さを上京2日目にして思い知らされました。 それでまた一からバイトをする生活になって、気持ちが落ち込んでいた時期に、大阪でお世話になっていたスタジオから「戻っておいで。うちの社員になりな」って連絡がきたんです。 それで一旦大阪へ帰っちゃったんですよ。 で、そのスタジオで社員として働きながらも東京に未練があって、1年後くらいにもう一度上京したいことを会社に伝えました。 ちょうどその頃にあゆちゃん(浜崎あゆみ)のオーディションに受かったというのもあって、そのタイミングでもう一度上京することになりました。


大阪でインストラクターをしながらNASTYというチームで活動していた頃のKYOKOさん

ではそれを機にずっと浜崎あゆみさんのバックダンサーとして多忙な日々を送るわけですか?

そうですね。6年間くらいずっとPVに出たりツアーダンサーとして一緒に回っていました。そんな中で、自分のダンサーライフに疑問を感じ始めたんです。 ずっとこのままでいいのか?って。もちろんすごく勉強になるし刺激ももらえるし、こんな贅沢な環境はないと思うんです。 だけど30歳という節目を期限として、次は自分のやりたい別のこと、新しいことをしよう!って決めました。

浜崎あゆみさんのツアーやPV撮影などの仕事をやっていた頃のKYOKOさん

人を育てること、裏方の仕事が好きだということに気づいた

大きな決断ですよね。その後の展開は?

「振り付けもしてみたい」と思うようになって、振り付けのオファーをいただくようになりました。振付師の仕事をしていてバックダンサーを起用する立場になったら、“育てること”が楽しいと改めて思うようになったんです。 その子たちが成長していく姿を見ているとすごく嬉しくなって。 キッズの時に教えていた子が大きくなって私の関わるオーディションに参加して、「実は昔KYOKO先生に習っていたんです」って言ってくれることに感動するし、またその子たちと一緒に仕事できることも嬉しいし。 私は創ることが好きなので、裏方の仕事が好きなんだなと気づいたんです。

なるほど。ではご自身の最大のターニングポイントといえる時期と出来事は何ですか?

1つは、29歳の時に道が一気に広がって、ダンスの幅も広がったことですね。あゆちゃんとの仕事でいろんなことを学んだり、いろんな方と出会えたりして、そこでのキャリアのおかげでお声掛けをいただけたので、とても感謝しています。
2つ目は妊娠ですね。 その間はスタジオもお休みさせていただいてたんですけど、それまでずっとダンスで体を動かしてきていたので、じっとしていられなくて。 なのでヨガをやったり、今まで行けなかったイベントとかにもたくさん行けるようになりました。

休んだことによって、有意義な時間を過ごすことができたんですね。ダンスとの向き合い方については、どのような変化がありましたか?

出産後もすぐ踊れるかなと思っていたんですけど、体重はすぐに戻っても、体が重いんですよ。 筋肉がなくなっていたし、体も硬くなってしまって、体が変わってしまっていたんです。 それでまた一からストレッチと筋トレに励みました。 それを機に初心者の気持ちになれたというか、初心に返れたんです。 筋肉があった時は当たり前に出来ていたことができなくなったことで、出来ない理由に気づけたというか、すごくいい発見になりました。 体が硬くなって筋肉も落ちたけど、そこから持ち直した自分の経験を伝えることで、生徒たちも響いてくれるし、「私たちも頑張ろう!」って思ってもらえるので、結果的にはよかったですね。

私達講師が教えることに無駄なことなんて1ミリもない

説得力がありますもんね。ではKYOKOさんがダンサーとして大切にしていることは何ですか?

何十年も踊っていても、ステージに立つ時は緊張するんです。だけどその緊張感ってとても大切だと思っていて。どんなに踊り込んで自信があったとしても、緊張感を持って踊ることを常に意識するようにしていますね。 こっちは100回くらい同じ踊りをしていたとしても、見に来てくれるお客さんは初めて見るわけだから、そこで“100回くらい踊ってる感じ”を出してはダメですよね。
そしてコレオグラファーやインストラクターとしては、どんなに上手に踊れる人であっても、基礎を手抜くような人に注意しますね。 目的や目標ってみんな違うけれど、誰に対しても、いま私が教えてることに無駄なことなんて1ミリもないから、「どんなことでも聞き流すな、見逃すな」「レッスンの1分1秒も無駄にするな」と言っています。

最後に、これからアカデミーへ通ってみたいと思っている方へメッセージをいただけますか。

何かを始める第一歩を踏み出す時の不安や緊張感は、先生たちも経験してきていることです。誰だって最初から出来ないし、先生たちだって同じです。 だから怖がらずに入って来てほしいです。 初心者向けから幅広いレベルまでクラスがあるし、いろんな先生がいて、いろんなスタイルがあるので、まずは見学して自分の好きなスタイルやレベルを見つけてみてください。 お待ちしています!