INTERVIEW

講師インタビュー

遊びの延長で夢中になってやっていたら、ダンスが仕事になった



ダンスを始めたきっかけは?

中学3年生の時に、友達と一緒に文化祭か何かで踊ったのが最初です。 本格的にやるようになったのは高校2年生頃からで、当時はダンススタジオがなかったので、地元の友達と公園とかに集まってやっていました。 遊びがダンスという感じでしたね。 昔テレビで放送されていた「ダンス甲子園」のビデオをレンタルして練習していました。 ビデオの踊りを見よう見まねで。 僕自身、ダンスをちゃんと習ったことって未だに一回もないんですよね。 独学でここまできちゃった感じです。

「ダンサーとしてやっていこう!」と志すようになったのは?

そうですね。それがないんです。 遊びの延長で夢中になってやっていただけで、結果これしかないっていうか。 今でもそんな覚悟とか決意とかかっこいいものはなくて。 今となっては好きなことが仕事にできているのですごく幸せなことだとは思いますけど。
高3の時に受験を一切しなかったんですよ。 1年の363日くらいひたすら踊ってたんです。 それも別にストイックにやっているつもりもなくて、遊びという感覚で。 それで結局大学を受験しないで浪人中に、テレビ出演やSPEEDのバックダンサーのオファーをもらえていたんです。

※所属するダンスチームPICASSO

※SPEEDのバックダンサー時代

そのテレビ出演やバックダンサーの仕事につながるには、何かきっかけがあったはずですよね?

詳しい話をすると、きっかけは「RAVE2001」(TRFのSAMがホストを務めた人気ダンス番組)です。 当時2人組みのチームでそのテレビに出るようになっていたんですが、 僕らを見たレコード会社の方がちょうど2人組みのダンサーを探しているっていう話をいただいて。 それがSPEEDのバックダンサーの仕事だったんです。 それからSPEEDの今井絵里子さんとのユニット「Eriko withCrunch」のメンバーとしてもデビューしました。

そうなんですね。ご本人の意思とはあまり関係のないところで色んな話がトントン拍子で進んでいった感じですね。

そうですね。運が良いというか、巡り合わせというか…。今にして思えば当時はまだ18歳のガキンチョのくせに、ダンスでお金は稼げていました。 浪人中だったんですけどツアーも回っていました。 でもその後受験して大学にも通いながら、SPEEDのダンサーとEriko with Crunchの活動を並行して行っていました。 だけどその活動もある日急に終わりを迎えて…。ちょうどその頃が自分の中での暗黒の時代だと思っています。 周りは就職活動を始めていたのに、自分は何もしていなくて。

焦りますよね…。それで結局どうしたんですか?

そんなモヤモヤしている時に手を差し伸べてくれたのが、エイベックスだったんです。 エイベックス・アーティストアカデミーがちょうど設立したばかりの時で、 「インストラクターとしてうちでやらないか?」と声を掛けてくださったんです。

インストラクターとしてのキャリアはそこからですか?

地元のダンススクールで19歳くらいの時から教えてはいました。デビューをしてからもずっと続けていたのがよかったなと思います。 大学4年の暗黒の時代にもインストラクターだけは唯一続けていたので、結果いまに繋がって本当によかったです。

地道に基礎もコツコツやることが、遠回りのようで近道

アカデミーのインストラクターとして声を掛けられてから現在に至るまでの経緯は?

もともと教えるのが好きだったので、夢中になってやっていました。そして2006年にダンスマスターを設立することになって、僕もスタッフの一員になったんです。 スタッフ兼インストラクターとして5〜6年働いて、かなり忙しかったけど楽しかったですね。 ゼロからのスタートだったのでやりがいを感じられて。

そうだったんですね。長くダンスシーンに携わってきたKIDOさんですが、インストラクターとして時代の流れの中で変わったと感じることはありますか?

僕自身はそんなに変わってないです。振り付けの内容とかは時代に合わせて進化していますけど、基本的な考え方や土台にあるもの、根幹になるものはあまり変わっていません。 今の若い子たちにとっては、ストレッチや基礎練習をしないですぐに振り付けに入るようなレッスンが主流なのかもしれないけれど、 僕は地道に基礎もコツコツやることが遠回りのようで近道であると信じているので、そういう意味では僕の中にあるベースは変わっていないです。

なるほど。ではKIDOさんクラスの強み、持ち味はどんなところですか?

みんなちゃんと踊れると思います。さっきの話にも出ましたが、まずベースを作ることを避けずにサボらずにやっています。 僕は幼稚園クラスから一番上のインストラクターコースまで受け持っていますが、 幼稚園クラスからしっかりと基礎を大切にやることを意識しています。 だからその時から教えていた子たちが今20代になってもみんなちゃんと踊ってくれるし、ほかの先生にも習うようになっても、 どこに行ってもちゃんと踊れるようになってる自信があります。 生徒がずっと僕のクラスにい続けるとも思っていないですし、ちゃんと送り出してあげるのが一番大切なんじゃないかなって思うんです。

素晴らしいですね。優しい親心というか…。

それがその子のためでもあると思いますしね。どこかでダンサーやインストラクターとして活躍している姿を見ると、よかったなあと思います。

社会生活でも役立つようなことを、ダンスを通して身に付けてもらえたら

そのように生徒さんたちが自分のもとを巣立って立派に活躍される姿を見届けるというのが、講師としておもしろみや、やりがいを感じる時ですか?

そうですね。あとは、ダンサーになる子ってほんのわずかじゃないですか。 ほとんどの子がダンサーになることなくアカデミーを卒業していく。 だけどそうした時にも社会人として人間として、ダンスを通して経験したことが役に立って欲しいなと思っています。 普段から言うことだったり、団体行動を通しての社会性だったり、そういうのはすごく意識しています。 きちんと並ぶとか、オン・オフのメリハリをつけるとか、学校生活や社会に出た時にも役立つようなことを身に付けてもらえたらと思っています。

では逆に“これだけはやらない”ようにしていることはありますか?

意図のない、その場しのぎのレッスンはしないようにしています。1つのレッスンにちゃんと意味があって、それが1ヶ月繋がって、1年に繋がっていくわけだから、 すべてのレッスンにちゃんと意図をもって臨んでいます。 そのためにもレッスンの内容やその時の生徒の雰囲気など、1つひとつのレッスンがどんなものだったかを覚えておくようにしています。

素晴らしいですね。特にKIDOさんは受け持つクラスが多いので大変だろうと思います。それから、JSDAの立ち上げにも携わっていたとか?

はい。今エイベックスにあるダンス関連のことほとんどに関わったと思います。 ダンスマスターのプログラム作りにも携わったのですが、完成するまでに2年かかりました。 その後ストリートダンス検定のしくみを作ったりもして。大変でしたね。

改めてJSDAを立ち上げた意義について聞かせていただけますか。

実は立ち上げはアカデミーよりも古いんです。まず検定のプログラムを作るところから始まりました。 例えば野球だったら甲子園出場とか、英語だったら英検とかがありますが、ダンスを真剣に取り組んできた人がそれを実証するものがなかったんです。 マイナーだったストリートダンスというカルチャーを、シーンを上げて行くためには証明するものが必要だと考えました。 ダンス以外でも社会に出た時に何かの役に立ってくれたらと。 資格化することで将来に繋がっていけばいいなという思いで始まったんです。

ダンサーとシーンの底上げのために立ち上げたという核にある意義は、これからもブレずに貫いて引き継がれて行って欲しいですね。では最後にアカデミーへの入学を考えている方へ向けてメッセージをお願いします。

教えることにプライドを持っている講師、“教えるプロ”が揃っているので安心して入学してもらえたらと思います。土台の部分からダンスの楽しさを教えながら、発表会で素晴らしい作品を作るまで、指導者としてもダンサーとしても両面でしっかりした人が揃っています。 インストラクターの質という部分では自信がありますので、ぜひ信頼して受けに来てください。

KIDO
KIDO / Dance

十代の頃より多くのアーティストのダンサーを務め、 今井絵理子ソロプロジェクト、Eriko with Crunchとしてデビューも果たす。 解散後はインストラクターの先駆け的存在として活躍。 ダンスプログラム開発、イベント演出、各種コンテストで実績を上げるなど、 マルチな活動をみせる唯一無二の存在。